網内 泰裕 【現在:第八春日丸 船頭】
私は、北九州市若松区の岩屋の漁師の息子として産まれました。水産高校二年生在学中に先生から紹介していただき、夏休みのアルバイト先として共進丸を紹介していただきました。先生は、そこの船頭の叔父さんで、三年生の夏休みもアルバイトをさせていただきました。
そして高校を卒業し、更に共進丸で三年間お世話になりました。
最初は知らない事、分からない事ばかりで覚えるのが大変で、先輩方に優しく時に厳しく指導していただき、日々仕事も覚えていきました。
まき網漁では大量に魚が獲れた時の魅力、感動、他ではできない体験をさせていただきました。
今は独立して、「ひびき灘漁協岩屋支所」で自分の船を持ち漁に出ています。年間を通してフク、アマダイ、アラの延縄やイカ釣り漁をしています。
今の自分が有るのは共進丸で、漁師としての基本や心構えを学んだおかげだと感謝しています。
第八春日丸
三藤 正一 【現在:章栄丸 船頭】
私は、北九州小倉南区の出身で父はサラリーマンという家庭で育ちました。
幼い頃から海と魚が大好きで、よく釣りにも行きましたし、漁師にも憧れを感じていました。
高校卒業後はエンジニアとして就職しましたが、どうしても漁師になる夢を諦められませんでした。島根や鳥取の大型まき網に就職を申し込みをしましたが、経験が無いということで断られました。
そこで、門司港庁舎に行き漁師の職を探しました。そして、共進水産を紹介されました。緊張しながら、船頭の面接を受け入社しました。
体力が必要な仕事ですが、身体を動かすのが得意でしたので苦には感じませんでした。
どこの職場も同じで上下関係はありますが、仕事以外の時は先輩も優しく気さくに話すこともできました。
共進丸では、10年以上お世話になりました。
6年前に独立して、現在はイカ釣り漁を主に行っています。
共進丸で培った事が今の自分の漁師としての根本にあります。また、役立っていることを強く感じています。
漁師になりたい、そしてやる気が有る人は、いずれ自分のように独立することも夢ではありません 。
扉を叩くことをためらい、後悔をすることが無いようにしていただきたいと思います。
章栄丸
橘 国光 【現在:明光丸 船頭】
自分は共進丸の有る同じ宗像の出身ですが、鐘崎ではなく農村部で産まれ育ちました。
高校を中退し、漁師や土木業を経験しましたが、なかなか長続きはしませんでした。色々な資格も取得し、土木業での独立を進められるほどに努力もしました。
しかし、自分で獲った魚の美味しさ、そしてそれを食べたいという思いが強くなり、ふたたび漁師を志して、一度お世話になった共進水産に入社しました。
若い頃は先輩たちに厳しく指導されることも有りました。しかし、そのおかげでひとつずつ仕事を覚えていき、まき網漁の運搬船やフク延縄の船長を任されるまでになりました。
昨年、漁師を一生の仕事にする決心をして独立することにしました。
そのことを船頭に相談すると、快く送り出してくれました。今では、自分の船で鯛やフクの延縄漁をしています。
共進丸で修業した手先の仕事、魚の獲れるポイントや操船技術が全てにおいて役立っています。
乗組員はもちろん、家の方々も親身になって相談に乗ってくれた事が、今思えば共進に乗って良かったと心から感じています。
明光丸